カテゴリ:未分類( 904 )   

めぐり逢うことばたち(exblog版)   

・2003年5月以来の日記版「めぐり逢うことばたち」  (web上から消滅)
・2009年6月29日までのブログ版(cocolog)「めぐり逢うことばたち」

      
  “伝記研究に際しては、いかなる調査も中途で放棄することこそ戒心すべきであろう。”
                                       野口冨士男
  “身ビイキなしに特定の古典について何がなし得るか。”
                                       堀田 善衞

 *右上の写真は、二上山(高岡市)

〔追記〕
三島霜川について旧日記上に書いた記事は、閲覧できなくなりましたが、近いうちにこのブログに移す予定です。(2011.75)

●このexblog版「めぐり逢うことばたち」上の三島霜川関連記事は、〔ここ〕です。

★かぐら川が管理人となっているブログ「夢二を歩く」は、〔ここ〕です。
★かぐら川が管理人となっているブログ「堀田善衞を読む会 」は、〔ここ〕です。
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by kaguragawa | 2017-12-31 23:55 | Trackback | Comments(17)

ケヤキの芽吹き2017   

 今週にはいってケヤキの芽吹きが見られるようになった。私には一年で一番うれしい時節。
 が、例年より数日遅いようだ。
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by kaguragawa | 2017-04-13 21:46 | Trackback | Comments(0)

深井史郎――1935年のある音楽論から   

 昨日、4月4日は作曲家・深井史郎の生れた日でした。こういったからといって、私は深井史郎の音楽作品を聞き込んだことがあるわけでもありませんし、深井史郎の誕生日を覚えていたわけでもありません。偶然、きのう、堀田善衞が旧制中学校の学生時代に書いた論考「現代音楽小論」を読んでいて、1933年に出版された「現代世界音楽家叢書」というシリーズがあることを知り、この「現代世界音楽家叢書」のことを少し調べていたらその叢書中、ストラヴィンスキーの巻を深井史郎が書いている――『ストラヴィンスキイ』(普及書房/1933.6)――ことを知ったのです。そして、深井史郎のこともあらためて意識したのです。
 (1930年頃、ストラヴィンスキーは日本でどこまで、そしてどのように聞かれていたのか、知りたいと、先日来、思っていたのですが、偶然きのう、堀田善衞の現代音楽論(1935)を読み返し、その中で、堀田のストラヴィンスキー言及に出会い、深井史郎にも出会ったのです。ちょうどその日が、深井史郎の生まれた日だったわけです。)

 堀田は、当時読むことができた現代音楽の本として「現代世界音楽家叢書」を挙げているだけで、深井史郎が書いた『ストラヴィンスキイ』についてふれているわけではありません。しかし、堀田はこの「現代音楽小論」中、当時のフランス音楽について述べる中で「特にストラヴインスキーは現代において最も驚嘆されて居る音楽者の一人であ。」と書き、また「音楽評者の毀誉相半ばする人物である。」などと紹介しているのです。堀田は、深井史郎の『ストラヴィンスキイ』を読んでいたかも知れません。中学生・堀田善衞のストラヴィンスキーへの注目度の高さも、記憶しておきたいところです。

 話が、深井史郎からストラヴィンスキーに遷ってしまいましたが、堀田がこの「小論」の末尾で「我日本、現代の作曲界にて、将来注目さるべき人は、菅原明朗、清瀬保二、池内友次郎、深井史郎、石田一郎、内海誓一郎などの諸氏であろう。」と書き“深井史郎”の名を挙げていることも記して、作曲家・深井史郎のことも、あらためて、しっかり記憶しておきたいと思っています。

 *深井史郎 1907年4月4日~1959年7月2日

 深井史郎については母校・秋田中学校の後継校・秋田高等学校同窓会のHPにいい紹介があります。
 http://akitahs-doso.jp/libra/57
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by kaguragawa | 2017-04-05 21:31 | Trackback | Comments(0)

思いつくままに   

 最近、「それって、ちょっと違うんじゃないの」と思うことがらが多い。ものごとの捉え方、視角といったことがらが、私の思っていること、求めているものと微妙に、しかし核心において決定的にずれているのである。
 いうまでもなく、私の思いが絶対でもなければ、多様な考え方、見方は歓迎こそすれ排斥するものではない。
 だが、あなたが「今」「そこに」立っているのなら、そして「公に」発言するのなら、いや「公に」発言しているつもりなら、「それって、ちょっと違うんじゃないの」と思うのである。

 年度の切れ目といったことにどんな重い意味があるかはともかく、この切れ目に翻弄されて、ここ半月ほど、気持に余裕を失っていたような気がする。そうした余裕欠乏症の頭に、いくつかの違和感が、つきささったままくっきりと残った(ようである。)

 明日から4月。春を愉しみたい。

 追伸。
 余裕欠乏症の私に、ていねいに掘り出した情報を届けていただき、新鮮な感動を与えてくださった方がありました。感謝しています。
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by kaguragawa | 2017-03-31 22:22 | Trackback | Comments(0)

三島正六の生誕100年   

 今年3月25日は、三島正六の生誕100年にあたる日。1917年(大正6年)の今日、正六は三島才二(霜川)の長男として誕生。大正六年生れだから、正六なのだという。

 今、手元に『捕物名作帳(大衆文芸戦時版1)』という本がある。“戦時版”というのは「昭和十六年二月」の発行であることで、なるほどと思う。〔今日の問題社〕発行のこの『捕物名作帳』の編集兼発行者が「三島正六」となっている。
 正六、23歳の姿を見ることができる資料だ。私には資料でもあるが、捕物帳好きの私には、戦時版などとは関係なく、無類におもいしろい読み物である。なにしろ執筆陣があまりに豪華だ。

 野村胡堂、角田喜久雄、山手樹一郎、村上元三、菊池肇、大林清、山岡荘八、横溝正史、(土師清二/土師清二は目次にあるが本文がない!)
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by kaguragawa | 2017-03-25 20:42 | Trackback | Comments(0)

若き射水郡郡長赴任   

 今年は(今年も、というべきか)いろんなことで、もたもたしている。
 気がついたら、もう3月14日である。

 若き日の内務官僚・南原繁が富山県の射水郡の郡長として当地に赴任したのが100年前(1917年)の今日であった。
 翌日には、伏木港(当時は伏木港の地も射水郡であった)に足を運んでいる、と私のメモにある。伏木港は、射水郡にとってだけでなく、富山県にとっても重要な交易の拠点港であった。

 南原の在任中の射水郡の動きに目をとめてみたいと考えているし、追々、そうした報告も書き留めたいと考えています。
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by kaguragawa | 2017-03-14 23:30 | Trackback | Comments(0)

富山文学の会 第8回研究大会   

富山文学の会 第8回研究大会のお知らせ

 日時:2017年3月4日(土) 13:00 - 16:00
 場所:富山大学 人文学部2F 4番教室
 
  講演
   「「日本海詩人」のこと、千石喜久のこと」
     上田 正行氏 (徳田秋聲記念館・室生犀星記念館 館長)

  研究発表
    「横山源之助と郷土の人々」 
      黒﨑 真美
    「山内マリコ作品における〈地方〉と〈階層〉」
      小谷 瑛輔

※くわしくは「富山文学の会」HP
https://www.toyamabungakunokai.com/


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by kaguragawa | 2017-02-25 18:53 | Trackback | Comments(0)

「人間は要求する。」   

雨は降り
風は吹く
人間は要求す。

 この「人間は要求する」という三行詩は千石喜久(せんごく・きく)のもの。
 千石喜久は、1930年の今日(2月6日)、満30歳の誕生の日を待たずに腸チフスで亡くなる。

 ※千石喜久 1900.05.25~1930.02.06

 富山県水橋は幾人もの詩人、童話詩人、詩研究者を生んでいる詩にゆかりのある地だ。


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by kaguragawa | 2017-02-06 19:13 | Trackback | Comments(0)

ちょっとメモ。2017.1.23   

 ちょっとメモ。

 三島正六。池袋児童の村小学校。野村芳兵衛。梅原真隆。
 おお、野村芳兵衛文書目録のなかに正六さんの『歪められた少年期』。

 「つるべいの家族に乾杯」。あっ、杉山さんだ。数十年前にお世話になった、当時八尾町役場に居られた、杉山さん。

 「文部科学省」天下りに、目くらましの想定問答集!?。こんな図式があるんやったら、厳格な?センター試験にいのちをかけている若者の生き方なんて、無意味じゃん。お役人さん、あんたら、ええ加減にしときや。

 川面稜一さん。「続けることが勉強です」。
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by kaguragawa | 2017-01-23 23:34 | Trackback | Comments(0)

ある寒中お見舞い   

 H先生の奥様より「寒中お見舞い」、“夫が昨年三月に亡くなりまして”、と。

 H先生には、デュギーという法学者の名を教えていただいた、むろんデュギーだけではない多くのフランスの法思想家や法学者・・・。恒藤恭もそうだ。先生の師であった田畑忍も。
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by kaguragawa | 2017-01-09 19:35 | Trackback | Comments(0)