啄木、歌の噴出、そこで見えていたもの   

 昨年の6月22日・23日のブログに、1908年の「赤旗事件」「独歩の死」「啄木の内的事件」のことなどを書きました。22日の「赤旗事件」の項では、啄木の日記をとりあげて22日は夏至ではあったが曇りがちな日であり、夕方には雨が降った可能性もあることを、指摘しました。後に、大逆事件と真っ向から取り組むことになる啄木も、まだこの「赤旗事件」のころは、社会主義の動きにもまた当局の動きにも大きな関心を寄せていなかったとの思い込みから、《啄木と赤旗事件》の関わり、交錯といったことなど夢想だにせず、日記から天候のことだけを摘記したのでした。

 その一方、啄木の動きについては、この「赤旗事件」翌日の23日深夜から24日にかけてと、25日の深夜から翌日にかけての2回、深夜に突然歌が湧き上がるように出てきて、啄木がそれを必死になって?ノートに書き留めていったという突発のできごとを、「啄木の内的事件」として書きました。

 ところが、驚くべきことがありました。日記にはまったく言及されてない「赤旗事件」ですが、まさにその“紅き叛旗”が25日の深夜に湧き出た「歌」の中ににみごとな噴出を果たしているのです。ほんとに驚きです。

  女なる君乞ふ紅き叛旗をば手づから縫ひて我に賜へよ

 みなさんは、この歌をどのように読まれるでしょうか。

追記;
 啄木はもちろんこの社会主義者の大会(山口義三の出獄歓迎会)に参加はしていませんから「情報源」は、新聞か、知人でしょう。「女なる君」は、当日拘束された管野スガ、神川マツ子らのことであろうことも推測がつきます。そして、これらのことは、すでに研究者の方が言及されていました。しかし、情報源を「新聞」とされているようなのですが、疑問が残ります。「女なる君」に「紅き叛旗をば手づから縫ひて我に賜へよ」と呼びかけるこの歌には、新聞という文字情報以上のものが見えてくるような気がするのです。そうでなければ、歌が湧き出てくるような常ならざる精神の高揚のなかで啄木は見えざるものも見えていたのでしょう。
 いずれにせよ、私の課題としての「啄木と社会主義の交錯の掘り出し」は、振り出しに還って考えてみなければならないようです。



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by kaguragawa | 2017-06-23 17:24 | Trackback | Comments(0)

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