本郷通り/森川町の「文圃堂」
2016年 01月 29日
――じゃあ、この〔註:『文學界』の〕四冊目までのときは、野々上さんは本郷におられたわけですか。
ええ。本郷にいました。
――本郷森川町八三ですね。
ぼくのところの家主が「おかめや」という古い小間物屋なのですが、それはいまでもあるはずなんです。それが家の隣でしたから。「喜多床」という、古い床屋が反対側の隣にあった。棚沢という本屋があったり、角が果物屋だったけれども……。東大正門の通りが真っすぐの通りで。角が果物屋で、次が本屋かな。東大の通りというのは、普通の道があって、東大側は古いレンガ塀で並木道、電車道があって、ごくなんかのところはやかましい音のする電車道に面していたわけだ。
――道の角ですか。
角というか、細い路地がありました。反対側の角が棚沢という本屋の支店だったと思う。当時は有名な古本屋でした。本で金を貸してくれるんでね。本店は一高、いまの農学部に寄ったほうにありましたが、その支店が角にあって、次がパン屋、それにおかめや、それから私のところです。だから三軒目かな。その次が喜多床です。文圃堂のあったところは、いまはパン屋になっているという話を聞いたけれども、もう何十年と行ったことがないから、どうかなあ。それから、郁文堂という洋書を扱っている大きな本屋。島崎書店は赤門のすぐ前です。島木健作が手伝ったりしていましたね。島木の兄貴がやっていたんですから。
文中の「喜多床」――漱石の「三四郎」にも登場――や、中村屋の新宿移転後も続けられていた「パン屋」、もと昼夜銀行の建物だった「郁文堂」などについては、少し添え書きしたいこともありますが、いずれ追記したいと思います。当時、本郷区森川町1番地の83だった文圃堂跡は、現在の住居表示で《本郷6丁目18番9号》にあたるようです。文中にも書かれているように文圃堂と同じ区画で、もう一方の(南東)角地にあった棚沢書店は《本郷6丁目18番12号》。
追記:
私のコメント(最後の段)に不正確なところがあります。余裕が無いので直せないでいます。しばし、お待ちを。
by kaguragawa | 2016-01-29 20:49 | Trackback | Comments(0)