よりによって今日、富山の「産業革命遺産」を訪う   

 ユネスコの諮問機関が、「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産への登録勧告をしたとのことで、各所の歴史遺構が大きく報じられている。が、ここ数か月、横山源之助とともに日本の産業革命の現場で働く明治の人々を追ってきた私には、幻聴だろうが「私たちたちのこと、忘れられているんじゃ・・・?」との声が聞こえてくる。
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 源之助の『日本の下層社会』にもその名の見える「高岡紡績」。その跡地を今日、千保川右岸の高岡市大町に訪ねました。ずっと訪れたいと思っていた高岡紡績の跡地にこんなタイミングで出掛けることになろうとは、何の因果か・・・?。
 その工場跡地に今も残る遺構の“赤煉瓦”は、「明治日本の産業革命遺産」そのものである。日本海側初の――しかも錘数1万を誇る――紡績「工場」だったといい(追記:今、調べた『富山県写真帖』(明治42)の記述には、「射水郡横田村に在り資本金十万円にして錘数一万九百余を有し日々三百六十余名の職工及び徒弟を使役し一年凡そ七千七百梱を産出す」とあり)、建物はイギリス人技師の建築によるものという。

 追記:1893年創業の高岡紡績は、100年前の1915年11月、日清紡績に合併され日清紡績高岡工場となる。
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by kaguragawa | 2015-05-05 22:21 | Trackback | Comments(2)

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Commented by 平名 at 2015-05-07 04:15 x
 富山市の日清紡跡地は「堀川本郷」って名に成りサンコー、カーマが出来、空き地だった社宅跡地も住宅着工が進んで名残りは「新住宅ばっかりが、」って点のみか、、 遺産残すのも大事ですが後の管理を如何するか、、
Commented by kaguragawa at 2015-05-09 21:21
平名さんコメントありがとうございます。県内には紡績工場(建物)やその敷地が、いくつもいろんな形でのこっていますね。
個人的には、“歴史遺産”は観光資源としてではなく、さりげなくしかし大切に、できれば現役の生活資源として永く保存、活用されてほしいと思っています。

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