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「オララ」のこと・・・(2)   

 忘れないうちに、ちょっとメモしておきます。(自分用のメモなので、読みにくいものです、悪しからず。)

 オララの所在地は、浅岡敏子さんのご子息からお聞きした話などから総合して、だいたいの見当はついていましたが、きのう紹介した広告から所在地の町名《衣服町》が確認できました。
 「衣服町」は、富山市の中心市街地で西町に東隣していた町で、現在既に消滅した町名ですが、1871(明3)年に風呂屋町から改名したもので周辺には江戸期からの古い町名が多く残っていました(これも、ほとんどが消滅)。そういう意味ではちょっと新しい町名でした(1965〔昭40〕年、「堤町通り一丁目」を新設編入)。
 衣服町は、そこを東西にぬける広い道――通称:平和通り。現在の行政道路名でいえば、西町以東は県道6号線〔富山・立山公園線〕――の両側につらなる町(いわゆる両側町)でしたが、現在は堤町通り(これも両側町)に含まれており、オララのあった道の南側に関して言えば、〔堤町通り一丁目4番街区〕が、旧の衣服町に該当します。

 なお、ここの道が広いのは、戦災後の復興都市計画によるものでしょうが、すでに戦前(1928〔昭和3〕年)、隣接する西町交差点から分岐新設された路面電車〔東部線〕――オララがあった戦前当時は「富山市営軌道」――が走る富山市街地のメイン道路でした。

 伝説にもなっているオララの繁盛が浮かんでくるような土地柄です。

by kaguragawa | 2014-07-07 22:43 | Trackback | Comments(0)

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