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霜川文学の原点『ひとつ岩』を読む(2)   

 自らの作品について語った文章をほとんど持たない霜川ですが、珍しく「ひとつ岩」にふれたエッセイ風の文章がある――しかもいくつかある――ので紹介をします。最初は、『新潮』〔明治41(1908)年10月〕に「奈何にして文壇の人となりし乎」という与えられたタイトルで書いた文章から。
〔『現代文士廿八人』(中村武羅夫著/日高有倫堂/1909.07)に再録。〕


 それで、その時はもう生活費の方は尽きて、桐生〔悠々〕君の所を出てから、〔明治三十年〕七月ごろ七軒町へ家を持って、翌年の四月まで、約十ヶ月其所に居った。その時一家四人、露骨に云ふと殆んど三度の食事も食ひ兼ねた。それは、僕の最も暗黒時代で、未だ一家を支へるだけの腕はなし、頭は固らず、読んで修養すべき書物はなし、不安恐懼に満ちた生活をして居た。それから、何うしても、書かねば食へないやうになって初めて書いたものが、「一つ岩」である。
 次に書きかけたのは、長いものであつたが止して、そのうちに「埋れ井戸」と云ふものを書いて桐生君の紹介で春陽堂に売った。その売り方が、僕の才の方をば推称せずして文学が非常に熱心でそのため財産を総て蕩尽したとか、何とか云って売り込んだものである。それで、石橋忍月氏が大いに同情して、その年の懸賞小説の中に入れて発表された。僕の作として最初のものは、「一つ岩」なのだが、「一つ岩」はそれから二ヶ月ばかりして、紅葉先生に見て貰った所が、面白いからと云ふので、「世界の日本」に売って貰って、原稿料を二十円得た。「埋れ井戸」の方で三十円貰ったが実に嬉しかった。
「一つ岩」を売った縁故で、佐久間秀雄と云ふ人に二三度会った。そして、佐久間氏に口があったらと頼んで置いた所が、恰度竹越三又氏が人民新聞(東京新聞の改題)をやることになったから入らぬかと云ふ。そこで表面竹越氏の推薦で入社した。
 それが、僕の文学社会に出た初めである。

by kaguragawa | 2014-05-06 21:36 | Trackback | Comments(0)

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