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ほたる乱れ飛ぶ「水の郷」   

 きのうの記事でふれた富山文学の会「第5回ふるさと文学を語るシンポジウム」では、三島霜川の歿後80年ということで、中山悦子さんの霜川の短編「水の郷」(明治37年)の朗読と、黒崎真美さんの「『水の郷』考」の発表がありました。以下は、すばらしい朗読を聞かせてくださった中山さんへのメッセージの形で書いた、もう一つの「水の郷」考です。

Nさんへ

 きのうはたいへん素晴らしい朗読を有り難うございました。ほたる乱れ飛ぶ「水の郷」_e0178600_23572423.jpg
 私の方もいろんな準備をしながら余裕のない中で拝聴していたのですが、淡々とした情景描写からはホタルの乱舞する幻想的な世界が、そうして明確に語り分けられた老人と新一少年の対話からは霜川のメッセージが、ホタルの軌跡のように気負いなく伝わってきました。
 もし録音がうまくされているのであれば、ぜひ聞き直したいと思います。

 あの“にぎやかに、しかしなんとなく物静かに”聞こえてくるホタル狩りの唄は、霜川の作品では、蛍を呼ぶ唄から、逆転して、蛍が新一少年を魔所に呼び込むこむ役割をもたされていると、思われるのですが、そうしたことも、作品を大事にしつつ読み進められた朗読があらためて浮き彫りにしてくれたように思います。

 ※上は、螢狩りに熱中する少年が登場する徳田秋聲の「蛍のゆくえ」(明治39年)の中のさしえを、参考に掲げたもの。秋聲の作品でも、少年がながめている蛍籠のなかの蛍は翌朝には消えてしまう。 

 ところで、私が興味深く思うのは、「蛍来い、山吹来い」の「山吹」の由来よりも、

   あっちの水は苦いな、
   こっちの水は甘いな、


 の「な」です。
 この特徴的な語尾は、私の知る限りはどこのわらべ唄にもないヴァージョンで、霜川の創作では?と思われるものです。

 実はこれと同形の蛍唄は、霜川の他の作品にも出てきます。明治34年の芹谷野を舞台とした作品「笹ぶえ」です。
 機会があればぜひお読みくださればと思います。
 ここでは蛍は、魂の形象として出てくるのです。

 「笹ぶえ」は「霜川選集」にはなくて高岡市教育委員会の2巻本の「霜川作品集」の方にありますが、これは汎用本ではないので図書館でも貸出対象になっていないかも知れませんが。

 また「笹ぶえ」と「水の郷」をあわせて読むことで、霜川の生地への想いを、読みとるヒントを得ることができると考えています。
(ついでにいうと、この「笹ぶえ」の短縮・改変版が、わりと良く知られている「霊泉」です。このことがまったく指摘されないで、――「笹ぶえ」の参照が求められずに――「霊泉」が旧蹟「弓の清水」の関わりのみで語られるのも、私にはけげんな想いをさせられる点ですが、現在の霜川研究の段階ではしかたのないことかと思っています。)

 昨日の朗読と発表を思い起こしながら、ついつい、私もホタルの世界の方へ呼び込まれてしまったようです。

 では。

by kaguragawa | 2014-03-03 23:49 | Trackback | Comments(0)

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