ある思い出を思いだす
2013年 08月 11日
いつの頃のことかはっきりとは覚えていない。小学校の低学年の頃だろう。二上山のふもとのお寺で法事があった。本家の祖父か祖母の一周忌ではなかったろか。私は大人なだけのなんか寄りつけないような集まりにいやけがさして寺を抜け出したのだ。寺の裏は山。けっこう広い山道があってそこをどんどん歩いていった――道は徐々に細くなっていたのに――ことは覚えている。
ふと気がついたら山の窪地というか小さな盆地のようなところに入り込んでしまった。そこをぐるぐる歩き回っているうちに自分がどこからやってきたのか、どの道が自分の歩いてきた道か、もうわからなくなってしまったのだ。だんだん辺りは暗くなってくる。周りは黒い山になってぽかりと自分の上だけが空である。歩けば歩くほど自分の居場所がわからなくなってしまうのだ。もうこれは家に帰れない!。100%観念してしまった。その心細さといったらない。誰か自分のいないことに気づいて探しに来てくれるだろうか???。
小学生にしては賢かったのかどうかわからぬが、足元の小流れに沿って歩きだしたのだ。ぜったい山から抜け出せる!!。そんな思いがあったのは確かだが確信でもなければ経験でもない。いちかばちかの賭けだったような気がする。やがて寺の大きな屋根が見えてきた。
なんと、かぐら川版「水の郷」である。実は、きのう三島霜川の「水郷」という作品を読む集いがあって、ここ数日、久しぶりに霜川の「水の郷」「水郷」という作品を読み返していたのだが、少年が蛍狩りに熱中するあまり家を離れた山間の魔所に迷い込んでしまうこの作品を読みながらも、まったく自分の体験を思い出すことが無かったのだ。
墓掃除が終わった後、お昼までには時間がある。いつも霜川研究?の節々に報告に立ち寄っている「三島霜川生誕地碑」に向うこととした。
〔追記〕 昨日の霜川の「水郷」を読む集いに関して一点だけ書いておきたいことがある。報告者からは作中に登場する「蛍狩りの歌」の地域性に関して示唆的な報告があったにも関わらず、大事な点が見過ごされていた点である。この物語は、日本のどこかの農村(いなか)を舞台にしているにも関わらず主人公の少年の語る言葉にも、その祖父が語る言葉にもその地方の土地柄を感じさる“なまり”がまったくないことである。いわば標準語で、“水の郷”の蛍狩りの物語がつづられているのである。この点を、「水郷」に親しんだ皆さんはどう考えられるであろうか。
by kaguragawa | 2013-08-11 13:07 | Trackback | Comments(3)
20余年前の秋に山形を旅した時は、有名なお寺目指して駅前からバスに乗ったものの、最寄りバス停から道が分からず、そのうちだんだん薄暗くなり、ようやくたどり着いたときは真っ暗、月明かりの中で歴史上の人物とその殉死者の墓を見ました。
今年話題の会津若松に行った時は、東山にある松平家墓所にタクシーで行き、さて帰りはバスでと思ったら山中で右も左も分かりません。ちょうど地元のおばちゃんたちが銀杏拾いに来ていたので、この人たちについていけば大丈夫だろうと思い後を追うと、木々の間から車道に出て停めてあったワゴン車で去ってしまいました。この時の気持ちはまさに記事の時の貴方様と同じです。ちなみに自分は、とにかく車道を前進したところ、10分ほどで大きなホテルに遭遇し、そこからタクシーで無事帰還?しました。
上に書いたのは小学校低学年の思い出ですが、今でも、富山県内では砺波地方は苦手です。車で砺波野の田園地帯を東に向かっているつもりで、気がつくと南に向かって延々と走っているということがたびたびです。
街歩きのときも、見てくれは良くても方位のしっかりしていない観光マップなどは、事故のもとです。地図を見ながらも迷子になってしまうことがあります。