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三島霜川の「若い叔父」【吉野才次郎】(2)   

 前項の【「若い叔父」吉野才次郎】に、少し説明を付します。

 「院林村(いんばやしむら)」――厳密に言うと吉野家のあった小矢部川支流山田川以東の院林地区――は、1889(明22)年の町村制施行時に、砺波郡広塚村に合併され、後、東砺波郡広塚村院林→東砺波郡福野町院林を経て、現在、南砺市院林となっている。
 なお、田中清一氏の「三島家系図」の附表に、吉野家の檀那寺を「加賀国金沢町 真宗 端泉寺」とあるのは、「瑞泉寺」の誤植。南砺市井波にある浄土真宗の巨刹・瑞泉寺の金沢市白菊町9−5にある分寺「瑞泉寺」がそれである。なぜ、檀那寺が金沢にあるのか、そのことは吉野家の出が金沢にあることを示していると考えて良さそうであるし、この南砺地方と金沢の古くからの交流を考えれば特別のことがらでもないと言える。いずれにせよこのことの考察は、今私の課題をはみだしてはいるが、念頭には置いておきたい。

〔追記〕
  徳田秋聲は、『黴』の五十九節で、同じ人物を「深山の義理の叔父」とも書いています。そこで、この“義理”という点についても、私考を一度書いたのですが、議論が煩瑣にわたるためブログ上では削除したことを付記しておきます。
・(1)霜川の“義理”の叔父で,「若い叔父」にあてはまる人物は、――現在判明している系譜上は――いないこと。
・(2)秋聲は、お銀の母親に「深山さんというのは、あの方ですか。あの方の家輪(うちわ)のことならお鈴さんから、もうたびたび聞かされましたよ。」とふくみをもたせて言わせている。このことと、“義理”のことば遣いとが――秋聲のあたまのなかで――結びついているのかもしれない、
との2点を、指摘するにとどめます。

by kaguragawa | 2013-05-23 21:13 | Trackback | Comments(0)

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