二つの「虐殺忌」
2013年 02月 20日
目にした読売新聞「編集手帳」。近くにある方は読んでみてください。
小林多喜二は、特高警察の拷問により、1933(昭和8)年2月20日》、虐殺された。享年、31。
ところで、小林多喜二は今年が、歿後80年。とすれば、来年が歿後80年となる一日違いの歿日の経済学者のことも、想起してもらいたい、知ってもらいたい。
野呂栄太郎――。野呂もやはり権力による拷問で《1934(昭和9)年2月19日》に亡くなった経済学者である。享年35。
塩沢富美子さんの『野呂栄太郎とともに』(未来社/1986.10)。読む余裕もなく借用期限が来てしまった。
もう一つ、想起してもらいたい、知ってもらいたいのは、小林多喜二の虐殺の10年後のこと。
権力によってつくられた犯罪「泊・横浜事件」で逮捕された人々に対する拷問が、神奈川県警特高の手によっておこなわれる。
「お前らの一人や二人殺すのは朝飯前だ。小林多喜二がどうして死んだか知っているか」
私たちは、小林多喜二がどうして死んだか、知らなければならない。
〔追記〕
泊・横浜事件に関わる訴訟が21日、始まった。私たちは執拗に歴史を問い直さねばならない。
by kaguragawa | 2013-02-20 22:23 | Trackback | Comments(0)