E・アームストロング『富山空襲、そして進駐軍』
2012年 08月 05日
『富山空襲、そして進駐軍――日本人となった婦人宣教師の手記』
著者:マーガレット・E・アームストロング(亜武巣マーガレット)
翻訳:宮崎ゆかり
発行者:堀江節子/もえ編集室
富山大空襲直後のありさまをアームストロングが記録した一コマです。昨年の3月11日直後にも繰り返されたであろう光景です。
『私たちは掃除婦の石垣さんを探しに行った。その途中で友人たちや知人たちと出会った。みんなお互いに「生きていてよかった」と言っていた。とうとう私たちは兵舎の近くで石垣さんを見つけた。彼女の顔は泣いたせいか腫れていた。彼女は家を出た際に自分の七歳の男の子と離れてしまい、探し出すすべをなくしていた。最初わたしたちは 「いっしょに男の子を探しましょう。きっと見つかります。」と言って、彼女を勇気づけた。
しかし、あちこち探し回ったが見つからず、さらにどこに行ってもまわりには死んだ人や死にかけた人がいたので、私たちは少し気が弱くなってしまった。見知っている学校の先生に会ったので、このような男の子を見かけなかったか尋ねたが、彼女からは「土手に行って、そこに積まれている子どもの死体から捜した方がいい。そこで男の子が見つかるのでは・・・」という冷静な返事があった。私たちは積み重ねられた小さな死体の周りを取り囲み、身元確認のために群がっている人々を見たが、そばまで行く勇気がなかった。長い間、名前を呼んで探し回ったが何の手がかりも見つけられなかった。』
天災であれ、人災であれこのような光景が繰り返されることのないよう、私たちは最善を尽くさなければならないのだ。その歩みが迂遠であろうとも。(なお、石垣さんの息子さんとは再会できたことが、後段で書かれています。)
上に写した前の節には、こんな記述もある。ほんとにこうした思慮深さと愛の深さをもつ人々には敬服の限りである。
『私たちが知っている人が一人、またひとりと現われた。彼らは別世界から来たようであった。それほと彼らの様相は変わり、また、それほど周りが変わっていた。六人の子どもをもつ母親が私たちの方にやって来て、彼女の子どもたちが助かったことを喜んでいた。
市川さんは自分の背負い袋から炒り米を出して少し分け与えた。他の者には火傷のためにと油を少し与えた。さらに三番目の者には、煙で痛む目にホウ酸を与えた。緊急時に必要なものを背負い袋に入れていた。彼女はなんと思慮深いのであろう。』
※富山大空襲から敗戦、占領期にわたる手記を残した“日本名亜武巣マーガレットは、富山市で幼児教育にたずさわったカナダ・メソジストの婦人宣教師であり、日本国籍を取得して、戦時下の日本で拘束されないまま暮らした数少ない「外国人」の一人である。”と、この書を発行した堀江節子さんの「はしがき」にあります。
この本は、いずれ店頭に並ぶのだろうか。その辺りのこともわかったら、またお知らせしたいと思います。
by kaguragawa | 2012-08-05 17:16 | Trackback | Comments(0)