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三島霜川の《本郷六丁目九番地 奥長屋》 (5)   

 先日の日曜日、本郷界隈を(といっても旧弓町を中心としたごく限られた区域ですが)、菊坂の与太郎の名で知られる梨木紫雲さんに案内していただいたのですが、梨木さんにまずご同行いただいたのは、このブログで何回か話題にした《〔旧〕本郷六丁目九番地》でした。両側に長屋の並んだ路地まるごとが「六丁目九番地」という区域について、先日来梨木さんに多くのことを教えていただいたからなのです。昨年の9月の訪問後、この路地にも大きな変化があったのですが、そうしたことは割愛して、この路地に関連してふれた「島木健作」のことから話を始めたいと思います。

 梨木さんから当日多くの資料をいただいたのですが、帰宅後その資料を見ていたら【(本郷)旧六丁目町会隣組明細図】というものがありました。「隣組」の名で連想されるように戦前のもの。「昭和十八年」の記載があります。推測するに、戦時中に作成された手書きのものを、この地にお住まいだった歯科医で郷土史家の松岡博一さんが活字にして整理されたものであろうと思われます。
 何度もコピーされているのか細かな字は、つぶれにじんで読めません。が、この地図の「9番地」に間違いなく「島崎」の名があります。そして本郷通りに面した「4番地」に「島崎(古本業)」の記載があります。
 この地図に残る両「島崎」の記載、は「《本郷六丁目九番地 奥長屋》(1)」に書いた島木健作兄弟の居所と仕事場であることは間違いありません。(1)を書いたときは、原資料まで遡及確認ができてなくて「六丁目九番地」に健作がいたという情報の真偽に不安はあったのですが、当時の資料でそれが確認できてホットした思いでいます。〔正確な事実の確認ができていませんが、この資料が昭和18年当時のものだとすれば、島木健作はもう9番地にいなくて、兄の島崎八郎が、引き続きこの2か所を借りていたことになり、両所ともに「島崎」になっていることと合致します。〕

 ところが、路地の両脇に長屋が並ぶ「6丁目9番地」の島木健作が居た場所が私なりに特定されてみると、ある仮説を書いてみたくなります。“明治期、この6丁目9番地にいた三島霜川家族(霜川とその母、霜川の妹〔2人もしくは3人〕)のうち母と妹たちが住んでいたまさにその家が、のちに島木健作の住んだ家ではないのか・・・・。”
 興味のない人には煩雑すぎるので論証は細かく挙げませんが、霜川がこの地から出した書簡と、この地に霜川を訪れた斎藤弔花の回想を読むと、東西に伸びるこの路地の奥に向かって右手〔北側〕奥のつきあたり近くの家に霜川の母親と妹たちが住み、道をはさんだ真向かいの左手側〔南側〕に霜川が住んでいたことになります。そこに地図の諸情報を加味すると、「霜川母親たちの居所=島木健作の隠棲の場所」となるのです。
(明治期の建物が昭和初期まで残っていたとすれば、まったく同じ家の可能性があり、関東大震災を経ているので、再築されていたとしても同位置かほぼ数メートルの誤差ではないかと思われるのです。)

 実はこの路地に今も現役のポンプ井戸があることを紹介しましたが、【(本郷)旧六丁目町会隣組明細図】の9番地には、紹介したまさにその位置と、もう一個所別の位置(路地の中ほどやや奥の左手側〔南側〕)に井戸の印が残されています。今は消失した路地奥の井戸の横が、霜川の居所だった可能性があるのです。
 とすれば斎藤弔花が、“彼の家で手洗盥や、歯磨、楊枝はみたことはない”との記述が、当時現存した井戸と組み合わされて、皮肉にも絵を見るように活きてきます。

三島霜川の《本郷六丁目九番地 奥長屋》 (5)_e0178600_23375868.jpg 最後になりましたが、「小路」「路地」と書いてきた東大赤門前に現代も長屋形式を彷彿とさせながら残存するこの路地が、「稲荷横丁」という親しい名で、呼ばれてきたという歴史を、――今もお稲荷さんにちなんだ「初午」の行事が今もこの小路でおこなわれているという驚くべき事実とともに――ご報告しておきます。
 この路地の突きあたりには、今もお稲荷さん固有の赤い鳥居を残す藤森稲荷が、ご神木と思われる大きなケヤキ――落雷によるものでしょうか上部が失われています――と共に、かつて鎮座ましましていたのです。

 そういえば、斎藤弔花が“奥に古い槐(えんじゅ)の大木が風にピューピュー鳴っていた。”と書き込んだ大木は、このご神木ケヤキのことだったのでしょうか。

 ※路地のつきあたりにあるお稲荷様の赤い鳥居と区の保存木「けやき」(右)。
昨年9月の撮影時にあった背後の家は、一昨日には無くなっていた・・・。

by kaguragawa | 2012-06-12 23:17 | Trackback | Comments(0)

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