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《1枚の写真》―2   

 一週間前に予告した《1枚の写真》の続稿、やはり!、まとめあげるのは無理でした。

 が、いくつか新たな発見もありました。というのが、前回紹介したのと同じ写真が、ある本に紹介されていることをある方からご教示いただいたことです。

 私が先日紹介した写真は、後列左から3人目の高田浩雲の持っていたもの。ご紹介いただいた今日の記事に掲載した写真は、前列左から3人目の三木露風の持っていたもの、と思われます。今日のものは、前回不鮮明だった、後列右側の3名の顔が少しは読みとれます。
《1枚の写真》―2_e0178600_2065918.jpg
  
〔追記:2/19〕 どうしても、やはり2月18日のこの時期に、ひと言でもこの写真にふれたくて、一日遅れで、追記することにしました。 
 この写真が撮られたのは、先週も紹介したように、1906(明39)年2月18日。「聚雲」発行5周年記念に集まったメンバーが、近くの「江木写真館」〔神田区神田淡路町二丁目四番地〕におもむいて写したもののようです。

 「聚雲」は、高田浩雲が上京前、富山にいた時代(1901年)に仲間の回覧雑誌としてつくったものですが、浩雲が上京し、前田夕暮と下宿を同じくするうちに、夕暮の車前草社のメンバーをも統合して、文芸雑誌として再スタートさせようと話し合っていた頃の写真です。それだけに意気が上がっていたのですが、前田夕暮、正富汪洋、若山牧水、有本放水、三木露風といった車前草社メンバーの気持ちの篤さが、浩雲の詩にかける思いと一体化した時期だったと言ってよいのではないかと思います。

 文芸雑誌化が図られた「聚雲」の運命、その運動の中心にあった高田浩雲、前田夕暮のその後については、あらためて。(ここに、三島霜川も不思議な関わりを持つことになるのです。)

 それにしても、高田浩雲の名は、今夏に県立の文学館ができようとしているこの富山の地においても忘れられています。私個人としては、文学館は、「万葉集」よりも、こうした富山自生の作家にこそ熱い思いを注いでほしい、との思いがいっぱいなのですが・・・。

by kaguragawa | 2012-02-18 20:07 | Trackback | Comments(0)

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