オリオンと、春立つ雪の宿
2011年 02月 04日
普羅の句を追体験しようという思いを、今年は2年前の日記を再録することで、擬似再現しておきます。
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オリヲンの真下春立つ雪の宿 前田普羅
この句が詠まれた「立春の日」、普羅の家宅〔普羅庵〕のあった場所に立ってみたい・・・。
この願いは、昨晩のぐずついた天気にうって変わって晴天の今日、朝から――“実現できそう!”――そんな思いで、夜を待ちました。
と言いつつも、大正末年の〔富山県上新川郡奥田村〕の普羅庵の場所をようやく探し当てた旧地図は、行方不明。7時過ぎに記憶にたよって現地に向かいました。当時と違い、家の立て込んだ、しかも東西に走る都市計画道路〔しののめ通り〕がかつての集落を二分していて、大正~昭和初期の趣は残ってないと言っていいのでしょう。
車を降り立ったのは、現在の富山市弥生町。路面にはまったく雪がなく、普羅が詠んだ「雪の宿」は今日の体感からははずさざるを得ないのですが、晴れ上がった立春の夜、それだけに夜気は肌をさす寒さです。
普羅がオリオンを見上げたのは何時頃だったのでしょうか。私がその地を訪れた8時頃に、勇者オリオンは正立した星座のかたちでほぼ真南の空にゆったりと懸っていました。「そうだったのか」――不思議と納得できたのは、普羅も見たオリオンは南天にすっくと立って、雪原中の雪の宿と普羅その人を全天の高みから物語を語りかけながら見おろしていたであろう情景だったのです。
〔追記〕
この句が詠われたと思われる1925(大14)年の立春は、2月4日ですが、そして立春のほとんどが2月4日ですが、前年の1923年・1924年などの立春は2月5日です。
ちなみに、119年年前=1892(明25)年の「立春」の日、東京は雪でした。この日、樋口一葉は、「よし、雪にならばなれ、なじかはいとうべき」と降りしきる雪の中、師・半井桃水のところへ向かっています。興味のある方は、昨年2月4日の拙記事をご覧ください。
by kaguragawa | 2011-02-04 22:38 | Trackback | Comments(2)
関東は快晴が続いています(快晴過ぎてカラカラです)ので、あとで夜空を見上げてみます。
労働運動仲間の交流誌に載せた『パンとペン』の感想文を拙ブログにupしました。
『パンとペン』の紹介、有り難うございました。