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大逆事件の死刑執行の日(1)   

 100年前の今日(1月24日)、18日に死刑を言い渡された24名のうち特赦で無期懲役となった12名を除く12名の死刑が、東京監獄で執行されました(12番目の管野すがは、明日に繰り延べ)。
 データの出所を確認していませんが、全員の“絶命”時刻が記録として残されています。

  幸徳秋水   午前8時6分
  新美卯一郎  午前8時55分
  奥宮健之   午前9時42分
  成石平四郎  午前10時34分 
  内山愚童   午前11時23分
  宮下太吉   午前12時16分

  森近運平   午後1時45分
  大石誠之助  午後2時23分
  新村忠雄   午後2時50分
  松尾卯一太  午後3時28分
  古河力作   午後3時58分






 上に、“管野すがは、明日に繰り延べ”と書きましたが、その点が少し疑問だったのですが、具体的に時刻を検討してみて事情が私なりにわかってきました。
 大逆罪とはまったく無縁な何人もの人々が「裁判」という国家作用をもっていのちを断たれたこの事件の、しかも絶命時刻の、分析という非情な作業を心を鬼にしてやってみました。そこから見えてきたのは、あくまで推論ですが、いのちの「計画的・機械的」横奪という図式でした。
 もしも私と同様に上記の時刻を仔細に見てみられるならば、容易に気づくことですが、午前中の執行は一人当たりほぼ50分ほどがあてられているのに、午後からはなんと一人当たりほぼ30分なのです。あきらかに、午後から「時間の短縮」が図られています。
 幸徳秋水が監房から呼び出されたのが午前7時過ぎ、古河力作が絶命が午後4時ですから、この日の執行にあてられたのは、計9時間(お昼の1時間を除き正味8時間)。ちなみに24日の東京は6時46分の日の出、午後5時の日の入りです。
 ここから見えてくるのは、もともとこの9時間に12人全員の処刑が計画されていたのではないか、ということです。 おそらく午前に7人、午後に5人ではないでしょうか。一人当たり40分の見当です。にもかかわらず、午前は教誨師との対話など予定を超えた時間が費消された・・・とのあせりから、午後のあわてた時間運びとなったのではないでしょうか。当初から二日がかりで処刑をおこなうつもりなら、午後からこんなにあわてる必要はなかったと考えられるのです。
 つらいことがらですが、もう少し書いておきたいのですが、それにしてもなぜ管野すが一人だけが、翌日に繰り延べになったのでしょうか。「もう一人ぐらい、予定通りに実行してしまえばよかったのではないか?。一人だけ、翌日に繰り延べしなくてもよかったのではないか?。東京監獄に当時どれだけ電灯設備があったのかわかりませんが、日没までにはまだ1時間あったのではないか?。」という疑問です。
 ここで、はたと気づいたのは、朝から11人の死刑執行に立ち会っていたであろう「高級司法官僚」からの“ギブアップ”の声があったのではなかろうかということです。言うまでもなく、実際の執行に携わっていた執行官吏の心のケアなどということは考慮の対象になるべくもなかったでしょうから。

 最後ながら、国家によっていのちを奪われた11人の方々の霊に哀悼の思いを捧げたいと思います。

by kaguragawa | 2011-01-24 22:42 | Trackback | Comments(0)

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