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『日露戦争実記』の霜川   

 三島霜川が寄稿していた『日露戦争実記』について、ブログ《古書の森日記 by Hisako》に「『日露戦争実記 定期増刊 戦争文学』(明治37年4月23日)」の紹介があります〔2008年02月04日〕。
 なんと情けないことに、2年前その記事のコメント欄に私がいろいろ書き込みをしていたことを、――「日露戦争実記」を検索して見つけたのですが――きれいさっぱり忘れていました。
 あらためて『日露戦争実記』(育英舎のものと博文館のもがある) のことを調べる手始めに、そのときのコメントを黒岩比佐子さんの分ももふくめてコピーさせていただきました。

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3. Posted by かぐら川 2008年02月04日 22:43
 育英舎の『日露戦争実記』をもしやしてお持ちなのでは?。その書誌学的なことがらをご存知ならお聞きしたいな。――と思っていたやさきでした。
 というわけで、この項にはちょっとまじめにコメントを書きたいと、うずうずしていますが、いかんせん、今時間がありません。あらためて、書き込みの機会を持ちたいと思います。
 この雑誌の編集者「塚越停春」については、平岡敏夫氏の「上州の文人塚越停春」というエッセイが運良くnet上にあっておもしろく読みました。
 http://www.gpwu.ac.jp/forum/sakka/tukagosi.html

4. Posted by Hisako 2008年02月04日 23:42
 もうだいぶ前に、育英舎の『日露戦争実記』の合本1冊が安く出ていたので、買ってはいたのです。創刊号から第6号までで、なぜか第4号は欠号です。ただし、買っただけで、よく内容を見てはいないのが実情でした。
 しかも、早くも気になる鉛筆書きのメモを発見! 
 これを買い取った古書店の人が書いたようなのですが、「1~110号内 62冊」と読めます。
ということは、第45号で終刊したのではなく、ひょっとすると、第110号まで発行は継続していて、その内の62冊を買い入れた、という意味かもしれません。

 それから、「山路愛山主筆」と書かれている資料が多いのですが、『日露戦争実記』の実物の目次を見ると、主筆と書かれた下に、山路愛山と塚越停春の名前が併記されていて、主筆が2人いた、というふうに読めますね。
 
5. Posted by かぐら川 2008年02月05日 00:52
お尋ね;
 1.「日露戦争実記」は、この号のように定期的に「戦争文学」というタイトルで発行されていたと思われるのですが、そうなのでしょうか。
 2.この「育英舎」は、教科書出版会社の育英舎とおなじなのでしょうか。(教科書出版会社の育英舎の住所は、明治20年代のものは、下谷区桜木町2番地となっています。)

6. Posted by Hisako 2008年02月05日 01:21
 1.それは間違いないようです。第6号の広告に、「定期増刊戦争文学」の広告が載っていました。その第1号の予告として、小説執筆者名も載っていました。泉鏡花、徳田秋声、小栗風葉、川上眉山、中村春雨、三島霜川、広津柳浪の7名です。
 2.鋭いご質問! 私も育英舎は教科書出版会社だと思っていました。でも、創刊号(明治37年2月18日発行)の住所を見ると、違っていますね。
 「日本橋区本石町十軒店六番地」です。
 そして、「発行所 育英舎」とある横に、山路愛山が主筆ということなので、「編輯所 独立評論社」となっていて、その住所は「日本橋区小舟町二丁目一番地」です。

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 なお、「塚越停春」については、同ブログ「棚橋一郎・鈴木誠一『日用舶来語便覧』(明治45年4月発行)」〔2008年02月06日〕に、貴重なコメントがあります。

by kaguragawa | 2010-08-08 19:04 | Trackback | Comments(1)

Commented by 森を歩こう人体編 at 2010-08-13 10:50 x
森田斉次に関する7月24日の記事、拝見しました。
森田教授は大正から昭和にかけて盛んにニワトリ胚を使った発生学的研究をしていたようです。三島霜川との関係に関しましては、森田の個人的な記録を調べるのがいいかと思いますが、そういうものが残っているかどうかわかりません。慈恵医科大学解剖学教室にはそういうものがあるかもしれません。知っている人もいますので、聞いてみましょう。もうしばらく時間をい戴きたいと思います。よろしくお願いいたします。
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