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「金沢湯涌夢二館」で夢二とたまきに逢う   

 Kさんへ

 きょうは、「金沢湯涌夢二館」をご案内いただき有り難うございました。特別展〔岸たまき――夢二を世に出した女性とは――〕ではいくつも発見がありましたし、常設展では夢二とキリスト教などのテーマをはっきりさせた展示から大きく学ばせていただいて、たいへん感銘深く参観させていただきました。
 それに加え、Kさんの夢二への愛情に満ちた展示解説をお聞きしていて――とりわけたまきが夢二の最期となった正木不如丘の富士見高原療養所にお礼奉公する件(くだり)には――感動して思わず涙ぐんでしまいました。

 さっそく何点か気になっていた点を、メモしておきます(確定した報告ではありません)。
 たまきが、亡夫との間の二人の子(敏子、一雄、)を、一人は養子に出し一人は婚家に残し、自立の道をさぐろうとし――最終的には、兄・他丑をたよって上京することになるのですが――記念に親子3人で写真におさまり(明治38.11.3)、3人で形見分けに分け持ったその写真が残されています。その現物の写真が展示されていて、その写真に見惚れながら、今まで、たまきを夢二物語の登場人物としてしか見てこなかったのではないか、たまきを夢二式美人のモデルとしてしかとらえていなかったのではないか、との思いにとらわれました。
 ところで、その写真の枠に印字されていた〔M.Kuroda TOYAMA,JAPAN 富山黒田〕の文字から、この写真が撮られた場所は当時の富山市唯一の繁華街総曲輪(そうがわ)だろうと見当をつけて調べてみたところ、当時の総曲輪通りにたしかに「黒田写真館」がありました。総曲輪通りは戦後、城址大通りが市街地を南北に貫通する形で新設された際、分断されてしまったのですが、黒田写真館は――新旧地図の比較による推定ですが――そのときに道路敷地になってしまったようです。(その後の消息はこれから調べてみます。)
 たまきの姉・薫が嫁いだ水上峰太郎の水上医院(内科?)も、総曲輪134番地ですが、ここは現在の総曲輪通りのずっと北側でかつて青物市場のあった場所の右隣り、八尾正治さんの「宵待草慕情――夢二と富山」にもあるように、現在の日本生命富山総曲輪ビル(富山市総曲輪1-7-15)の辺りのようです。

 もう一点。大正4年――夢二がたまきと別れ、彦乃といっしょになる分岐点にあたり、夢二が富山を訪れた年ですね――前後に、夢二とたまきが住んでいた「神田区千代田町28番地」は、現在、JR神田駅南側の千代田区内神田二丁目3界隈でした。ただし〔28番地〕辺りはここも新設道路の敷地になっているようです。

 とりあえず、お礼と報告まで。

〔追記〕
 夢二が大正6年の来沢の折、個展「夢二抒情小品展覧会」をひらいた旧・西町の尾山神社横の「金谷館(かなやかん)」は、やはり現在の湯涌温泉のかなや旅館に姿を変えているようですね。「かなや」のHPにそのことが書かれています。
 http://www.yuwaku-kanaya.com/

by kaguragawa | 2010-06-13 00:01 | Trackback | Comments(4)

Commented by 金沢市 楠 英介 at 2010-06-13 10:44 x
金沢湯涌夢二館へご一緒いただきお疲れ様でした。kaguragawaさんの博識には大変感銘させられました。
たまたま知り合いが来ていたものですら、持ち前のおせっかいで、企画展「岸他万喜(たまき)--夢二を世に出した女性とは--」の部分をご案内、ご説明したものです。詳細ご存知のkaguragawaさんの前で若干恥ずかしかったのですが、その知り合いや、その他の見学者の皆さんに、少しでも夢二のことを知って欲しいと思い、しゃしゃり出てしまったものです。

金沢市内の旧「金谷館」が、湯涌温泉の「かなや旅館」の前身だったことは初めて知りました。
たまきと前夫の子供達との写真についてその写場など考えたこともありませんでしたが、大変貴重な情報です。追加の総曲輪・黒田写真館情報も拝見しました。
kaguragawaさんの情報力は素晴らしいです。

金沢(北陸)夢二愛好会(仮称)の実現にお力をお貸しください。
また、「石川・宮沢賢治を読む会」(基本的に、奇数月の第4日曜日午後)にもご参加ください。次回は7/25です。
Commented by kaguragawa at 2010-06-19 00:30

楠さん、先日は有り難うございました。夢二館もそうですが、思いがけず旧制二中(金沢第二中学校←石川県第二中学校)の校舎を見れたのもうれしいことでした。近代建築を見るのも私の趣味?なのですが、この旧制中学を卒業した堀田善衛(富山県の伏木出身です)の作品も少しずつ読んでいて金沢時代の堀田善衛だけでなく、作家では島田清次郎、建築家では谷口吉郎など多彩な卒業生がいるようです。また帰りに、岸たまきの生家跡と思われる場所やたまきの通った市立高等女学校の地も確認できてとてもいい日になりました。あらためて金沢の「たまき散策」をしてみたいと思っています。
今まで、たまきは夢二の伴侶として、夢二式美人画のモデルとしてのみ語られるだけでしたが、たまきには――当然のことですが、――一人の人間としての一生があったわけで、夢二から解放してあらためてその生涯や生き方を追ってみると別の女性像が浮かび上がってくるような気がします。今回夢二館でたまきに出会って、あらためてこんな思いでいます。
Commented at 2010-07-30 13:07 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kaguragawa at 2010-07-31 07:45
 Tさんへ。お便り有り難うございます。もしかしてURLの欄にメールアドレスを書き込んでいただいたのかも知れませんが、読みとれません。お尋ねの件については、当時の新聞で確認できるようです。どこかにその写しがあったと思いますので、土日のあいだにこのコメント欄んか、別スレッドに書き写したいと思います。しばらくお待ちください。
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