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『路上の人』『たけくらべ』   

 高岡―京都の往復の“旅の友”、行きは堀田善衛『路上の人』、帰りは樋口一葉『たけくらべ』を読みました。
 『路上の人』は、読みかけのものを読み切ることができました。この堀田の『路上の人』という、現在とまったく時空を異にする――中世のヨーロッパ!――ゆったりとしたテンポの小説を、自分でも理由がわからないまま楽しんで(楽しく読んで良いのだろうか?)、読みました。が、読み終わった瞬間からいくつかの反問が絶えず湧きあがってきて、ああでもないこうでもないとあれこれ思索を巡らして、これがまた楽しみになりました。

 現代こそが問題であるはずなのに、中世のヨーロッパなどをのんきに愉しんでいいのだろうか。そもそも中世のヨーロッパの「路上の人」がどういう意味で現代の小説になりえるのか。こういう不思議な思索にみちびく力がなぜ中世のヨーロッパを題材にした小説で可能だったのか・・・などなど。あっそう言えば木下順二の民話戯曲の非現代性も同じものだなとか、いろんなことに――すべて私的な感想に過ぎないこと断るまでもないことです――、京都という土地柄の雰囲気も影響もあったのでしょうか、思い巡らせました。

 そして『たけくらべ』。ちょっと驚いたのが、「旅訳」を随所にちりばめた“名作旅訳文庫”というJTBのユニークな企画(このシリーズについてはいずれ)。あらためて、多いに驚いたのが「たけくらべ」世界のふところの深さ広さ。どうしてここまで読む者の心くいこんでいく少年少女たちの描写が可能なのでしょう。何度読み返したかわからないくらいの名作ですが、一葉と彼女の描きだした子どもたちを想い、あらたに涙した帰路の車中でした。

by kaguragawa | 2010-03-16 22:41 | 本/映画 | Trackback | Comments(0)

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