メモ、ヴォーリズの清泉幼稚園のことなど   

 草がおいしげった庭に出てみて暗然たる気持ちになりましたが、用水近くに秋らしくイノコヅチ、ヨモギ、アレチノギク、アメリカセンダングサ、ノコンギクを見つけて安心?しました。二上山の山裾からとってきたミズヒキを庭の一角に移植。

 19日の「金沢行」の記録として書いておきたいことがいくつもあるのですが、筆が重たく(?)後日の課題とします。(こういう断り書きを書いて、実行したことはほとんどないのですが。)
 きのう21日は、宮沢賢治の亡くなった日で、「陸羽132号」と賢治の詩「稲作挿話」のことについて書き始めたのですが、これも後日。

 ツユクサの学名《Commelina communis》にその名を残す17・8世紀のオランダの植物学者コメリン(コンメリン)〔Commelin, J. & C.〕について、やいっちさんのブログに古い記憶を確かめながら、書かせていただきました。
 彼らが園長を勤めたアムステルダム植物園は、オランダ東インド会社が世界中からもたらす植物であふれていたようです。
 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2009/09/post-2.html

 Bookoffで、『浅見光彦theComplete――華麗なる100事件の軌跡』(2004)、『奥の細道――芭蕉紀行三百記念企画』(別冊・山と渓谷/1989)を安価で購入。

 6月7日に、“金沢にヴォーリズの設計した幼稚園があることを、金沢の情報誌『そらあるき』で知りました。川上幼稚園と清泉幼稚園です。清泉幼稚園は今年の9月に解体されるとのこと。いずれにせよ、詳細は実見の上、報告したいと思います。”――と、旧日記に書いたのですが、清泉幼稚園はすでに7月に解体が始まっていたことを偶然新聞記事で知りました。
 解体に先だって一般公開がされたようなのです。残念ながら、ヴォーリズの建築の細部まで見ることのできる貴重な機会を逸してしまいました。この「清泉幼稚園」は、もとメソジスト派のカナダ夫人宣教師の宿舎が当時の金沢市尻垂坂3丁目14番地につくられた際〔1926(大15)〕、それに併設された幼稚園――「十四番幼稚園」と呼ばれた――が、名称を「清泉幼稚園」に変えて現在地〔金沢市橋場町13-17〕に移転新設したもので、このとき〔1950(昭25)〕ヴォーリズが設計したのです。ヴォーリズは来沢し、園舎の完成記念式に出席したとのことです。

〔追記〕
コメリン家の系譜はここからたどることができます;
http://www.commelin.nl/genealogy/descend.php?personID=I3&tree=com
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by kaguragawa | 2009-09-22 23:50 | メモ ひとこと | Trackback(1) | Comments(3)

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Tracked from 壺中山紫庵 at 2009-09-23 20:05
タイトル : 闇の河とりどりの灯の夢に似て
← 台所脇の裏道に雑草だろうか、青い小花の花を発見。風に吹かれて気持ちよさそう!... more
Commented by kaguragawa at 2009-09-23 20:55
所在地の地番にちなむ「十四番幼稚園」ですが、その旧町名を上に「尻垂坂3丁目」と書きましたが、「尻垂坂通り3丁目」ではないかと思うのですが、上のメモのもとになっている私の手書きのメモ帳には「通り」が抜けています。確認でき次第、追記します。
Commented by Shakes at 2009-09-27 20:26 x
「北陸英学史研究第10輯」に、「ヴォーリズと金沢」という論文があります。
Commented by kaguragawa at 2009-09-27 23:46
Shakesさん、情報有り難うございます。さっそく県立図で閲覧したいと思います。
ところで、徳田秋声の「不安のなかで」の舞台になっている姉・依田かをりの大正12年当時の住居は、「秋声全集」の年譜には、“(金沢市)尻垂坂二丁目三十四番地(現・兼六町二丁目四十番)”となっていて、ここでも町名に「通(り)」が抜けています。そんなことも含めて、いずれ別項で。

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