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二人のミセス・タッピング(4)   

 賢治の年譜を見ていたならば、今日8月22日は、「文語詩稿百篇」の清書が終った日のようです。1933(昭8)年8月のことですから、賢治の死――9月21日――の1か月前のことです。なぜ賢治がこの時期に文語詩というスタイルの作品群をつくり推敲を重ねていたのか、私にはまったくわかっていませんし、研究者の間にもいろんな推論がをあるようですが、定説はないようです。それはともかく、101篇の詩稿をはさんだ和装表紙には次のように書かれているとのことです。

 文語詩稿 一百篇、昭和八年八月二十二日、
    本稿想は定まりて表現未だ定まらず、
    唯推敲の現状を以てその時々の定稿となす。

 この「文語詩稿百篇」の2番目の作品が、タッピング一家が登場する「岩手公園」です。

     岩手公園

 「かなた」と老いしタピングは、 杖をはるかにゆびさせど、
 東はるかに散乱の、 さびしき銀は声もなし。

 なみなす丘はぼうぼうと、 青きりんごの色に暮れ、
 大学生のタピングは、 口笛軽く吹きにけり。

 老いたるミセスタッピング、 「去年(こぞ)なが姉はこゝにして、
 中学生の一組に、 花のことばを教へしか。」

 弧光燈(アークライト)にめくるめき、 羽虫の群のあつまりつ、
 川と銀行木のみどり、 まちはしづかにたそがるゝ。


 (続く)

by kaguragawa | 2009-08-22 19:36 | 明治大正文学 | Trackback | Comments(0)

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