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めぐり逢うことばたち(exblog版)   

・2003年5月以来の日記版「めぐり逢うことばたち」  (web上から消滅)
・2009年6月29日までのブログ版(cocolog)「めぐり逢うことばたち」

      
  “伝記研究に際しては、いかなる調査も中途で放棄することこそ戒心すべきであろう。”
                              野口冨士男

  “身ビイキなしに特定の古典について何がなし得るか。”
                              堀田 善衞

 *右上の写真は、二上山(高岡市)

〔追記〕
三島霜川について旧日記上に書いた記事は、閲覧できなくなりましたが、近いうちにこのブログに移す予定です。(2011.75)

●このexblog版「めぐり逢うことばたち」上の三島霜川関連記事は、〔ここ〕です。

★かぐら川が管理人となっているブログ「夢二を歩く」は、〔ここ〕です。
★かぐら川が管理人となっているブログ「堀田善衞の会 」は、〔ここ〕です。

# by kaguragawa | 2024-12-31 23:55 | Trackback | Comments(21)

13年後の今日、70日後の今日。   

 東北の地で、今日、2時46分だけでなく、4時10分にも黙禱が捧げられたという。
 13年後の今日、70日後の今日。

13年後の今日、70日後の今日。_e0178600_19162077.jpg

ピンボケ写真は、今日、今年初めて見つけたオオイヌノフグリ。



# by kaguragawa | 2024-03-11 19:18 | Trackback | Comments(0)

南原繁と笠置シヅ子   

 南原繁の年表〔『わが歩みし道 南原繁——ふるさとに語るー』(1996.03.07)〕を何気なく見ていて、眠気が覚めるくらいびっくりした。没後事項の記述にこうある。

 昭和51年(1976)5月
 相生小学校に倒壊していた大坂峠の歌碑を再建。中村哲、笠置シズ子よりメッセージ寄せられる。
     「シズ子」の表記は、原文のママ
 
 エッ、笠置シヅ子!、わが目を疑った。南原繁と笠置シヅ子とはどう考えても結びつかないのだ。ちなみに、相生小学校というのは南原の母校である。

 「南原繁は、笠置シヅ子と同郷であるだけでなく、彼女の実父の友人でした。」とのこと。
 https://plus.usio.co.jp/blogs/contents/2023-097

 なんと、南原は笠置シヅ子の後援会の会長も務めているのだ・・・・・

〔追記〕
 二人は同郷で、南原は笠置シヅ子(亀井静子)の父・三谷陳平と知り合いであるだけでなく、その祖父に漢学を習ったとの、記事もある。ゆっくり、調べてみたい。

 南原に次の歌がある。

    若くして 死にたる友の女郎花(おみなえし) 
              かく世に出でて 大いに歌う


# by kaguragawa | 2024-03-06 23:02 | Trackback | Comments(0)

二月二十日   

 2月20日が、近代日本にとってどんな日であるか。
 自分が11年前に書いた「二つの「虐殺機」」というブログ記事によって、あらためて気づかされた。 
 小林多喜二が息を引き取った築地警察署裏の「前田病院の地」は、自分の原点の一つであり続けている。
 https://kaguragawa.exblog.jp/19828588/

# by kaguragawa | 2024-02-20 22:53 | Trackback | Comments(0)

巽聖歌の生まれた日   

 公園を歩いていたら赤い花びらを散らしたサザンカを目にし、思わず“さざんか さざんか 咲いた道”という歌が口に浮かんだ。巽聖歌が詞をつくった「たきび」という歌だ。そういえば「今頃が」と思い、家につきしだい調べたところ、やはり今日、2月12日が巽聖歌の生まれた日であった。

 巽聖歌(たつみ せいか、本名:野村七蔵/1905.02.12--1973.04.24)は、岩手県の生まれ(岩手県紫波郡日詰町/現在:紫波郡紫波町)。新美南吉の紹介者としても知られるが、同郷の宮沢賢治に熱く心を寄せた人だったようである。
 昨年が歿年50年にあたる年だった。巽聖歌の評伝などあるものだろうか。調べてみよう。

# by kaguragawa | 2024-02-12 14:37 | Trackback | Comments(0)