めぐり逢うことばたち(exblog版)   

・2003年5月以来の日記版「めぐり逢うことばたち」  (web上から消滅)
・2009年6月29日までのブログ版(cocolog)「めぐり逢うことばたち」

      
  “伝記研究に際しては、いかなる調査も中途で放棄することこそ戒心すべきであろう。”
                                       野口冨士男

  “身ビイキなしに特定の古典について何がなし得るか。”
                                       堀田 善衞

 *右上の写真は、二上山(高岡市)

〔追記〕
三島霜川について旧日記上に書いた記事は、閲覧できなくなりましたが、近いうちにこのブログに移す予定です。(2011.75)

●このexblog版「めぐり逢うことばたち」上の三島霜川関連記事は、〔ここ〕です。

★かぐら川が管理人となっているブログ「夢二を歩く」は、〔ここ〕です。
★かぐら川が管理人となっているブログ「堀田善衞を読む会 」は、〔ここ〕です。
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# by kaguragawa | 2017-12-31 23:55 | Trackback | Comments(17)

ちょっとメモ――川角捨兵衛のこと   

 「へるん」(1991-№2〔28号〕)に染村絢子さんの書かれた川角捨兵衛(かわすじ・すてべえ)情報があるので、川角の履歴の部分を、メモしておきます。

 “川角捨兵衛は、松江市中原の出身で、ハーンの松江時代の教え子である。のち同志社に学び、京都、新潟、糸魚川、金沢の各中学校で教鞭をとった。”
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# by kaguragawa | 2017-11-20 22:17 | Trackback | Comments(0)

雨のなかの秋聲忌   

 今年の秋聲忌は、雨。私がどういう資格でか、――毎年のように繰り返すこの問いに答えられない自分がいるのですが――参加させていただくようになってから、初めてのこと。

 さすがにこの雨では墓前祭というわけにいかず、静明寺の本堂で。

 タケさん(秋聲の母親)の葬儀も、当時も今もおそらくあまり変わっていないであろうこの本堂でおこなわれたのであろうと、読経の声を聴き造作を眺めながら、考えていたことでした。
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# by kaguragawa | 2017-11-18 22:16 | Trackback | Comments(0)

ありがたい、ありがたい。   

 このことはKさんにお願いするしかない、今日メールして頼んでみようと思っていたら、なんとそのKさんにばったり。

 「『横浜事件・再審裁判を支援する会 会報№1』をお持ちであれば、コピーをしていただきたいのですが」という、要件。
 しどろもどろにあって、「横浜事件の・・・、会報・・・、あの再審裁判の・・・。」と言ってる間に、いや、言い終わらぬうちに、「わかりましたよ。」と一言。

 ありがたい、ありがたい。
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# by kaguragawa | 2017-11-17 22:37 | Trackback | Comments(0)

西田幾多郎、帝大在学中の下宿先   

 西田幾多郎の帝大哲学科選科在学中(1891~1894)の下宿先が、上杉知行『西田幾多郎の生涯』(1988)に紹介されているので、メモしておきます。

・本郷区台町六 日吉館
・本郷区森川町一番地 荻野方
・本郷区森川町一番地三百六十二号
・牛込区新小川町二丁目八番地
・小石川区久堅町二十二番地

〔追記〕
 上記のうち、本郷区森川町一番地三百六十二号は、私のこのブログの5年前の記事に幾多郎が明治25年〔1892〕9月に住んだ場所として「本郷区 森川町一番地 新坂三六二」の表記で紹介されていました。
 そういえば、森川町一番地新坂にちなんだ番地をいくつか書いた記憶はあるのだが、そのときの幾多郎情報はどこで見つけたものなのか、思い出せない・・・。
 http://kaguragawa.exblog.jp/18823853/
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# by kaguragawa | 2017-11-11 16:11 | Trackback | Comments(0)

ちょっと手すきな時間に   

 自分が自由に使えるパソコンが無くなったのが一番の理由だが、このブログへの書き込みもほとんど、しなくなった。
 不思議なもので、女房からパソコンを借りることができ、時間の余裕のある場合であっても、そしてちょっと報告したいことやおもしろい話題があっても、今までのように書き出すことが、なかなかにできない。

 なにはともあれ、「週一」、なにかの記録を――自分のためにも、そして、かぐら川的「知」を共有してもらえるかも知れぬ人に向かっても――残したいものと思っています。
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# by kaguragawa | 2017-11-04 17:49 | Trackback | Comments(0)

見つかったもの。   

 ある本を探して、書庫?納屋?をごそごそやっていたら意外な本やら物やらがいくつか出てきた。

 1987年5月発行の臨時増刊・岩波文庫創刊60年記念「私の三冊」もその一つ。
 有り難かったのは、岩波文庫の木下杢太郎『百花譜百選』。描かれた日付と短い身辺雑記があまりにも、切ない。

 
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# by kaguragawa | 2017-10-16 22:36 | Trackback | Comments(0)

ugoita?????   

nankagetsumo ugokanakatta pasokonnga nazeka ugokimashita. isoide totemo taisetsuna fairu(file) dakewo mail ni kuttukete --usb wo ninnshiki shinainode--okurimashita.
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# by kaguragawa | 2017-10-08 20:03 | Trackback | Comments(0)

八月になっている   

 先月は不順な天候が伏せっていた方の最期の生命の糸を切っていったのだろうか、近しい多くの方が亡くなられ、日もおかずに同じ火葬場で最後のお別れを重ねた。
 天命ということばがあることは承知もしているが、事態を受け入れないままに七月が過ぎていった。

 古書店で見つけたエッセイ集『銀座が好き』特装版!の近岡善次郎さんの繊細な挿絵を見ているとそのどれもこれもが、いとしさの余り涙をさそう。もうすぐお盆だ。
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# by kaguragawa | 2017-08-09 22:05 | Trackback | Comments(0)

2017瀧口修造橄欖忌   

 瀧口修造の命日にあたる今日、Hさんのご厚意で瀧口の「橄欖忌」に参加させていただきました。

 雨の降り続くなか、生地の龍江寺(現:富山市大塚/生誕時は婦負郡寒江村大塚)にある墓碑にバラの花とオリーブの枝を供えさせていただき、そのあと、場所を移して犬島肇さんのお話「武満徹の視線から瀧口修造を読む」をうかがう、という得難い日となりました。

 「おまえがなんで瀧口修造の・・・」と問われても答えはないのですが、遠い距離からずっと想いを寄せてきた人としか言いようがありません。

 講演の合い間に聴くことのできた武満徹のピアノとヴァイオリンの「妖精の距離」――瀧口修造の詩画集「妖精の距離」に触発されて武満徹がつくった二重奏の曲――が、今日の私の瀧口体験をまとめてくれるように思われる。


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# by kaguragawa | 2017-07-01 19:26 | Trackback | Comments(0)

岡田三郎「伸六行状記」――。   

 正直なところ、一読、ちょっと驚いた小説がある。岡田三郎「伸六行状記」――。1940(昭和15)年の作品(「新潮」発表)とは知っていたのだが、私が鈍感なせいもあるだろうが、戦中の欝々とした時代の雰囲気が感じられないのだ。不思議な作品だ。

 堀田善衞の『若き日の詩人たちの肖像』の第4部に、名前は明示されないものの“お龍さん”のあらたな旦那さんとして出てくることから、あらためて意識にのぼってきて、この短編をまず読んだ次第。あらためて近代文学事典を開いてみたら、野口冨士男が野口冨士男らしい文で「岡田三郎」の項を書いていたのもうれしいことでした。 


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# by kaguragawa | 2017-06-29 22:58 | Trackback | Comments(0)

「今の日本の憲法はな、明治のお人たちの、血やら涙やらいのちやら」   

 先日、書いた赤旗事件は山口義三(孤剣)の出獄歓迎会でおこったものだが、この山口孤剣の名前を最近思いがけないところで、目にした。
 堀田善衞の『審判』に登場する不思議な老婆・郁子刀自――モデルは明治の自由民権に関わって生きた堀田善衞の伯母・郁子であることは明らかだが――の語りに、こうある。

「吉備彦にな、よく言うがや。今の日本の憲法はな、中江兆民先生や、名古屋の山口孤剣さんの『破帝国主義論』やら、黒岩涙香さんやら、幸徳伝次郎さんやらなんやらの、たんとたんとの明治のお人たちの、血やら涙やらいのちやらの苦労の、やっとかっとのことでみのったもんやがいね、おろそかに思うでないぞ、明治もんのわたしらにも、いまの憲法の方が教育勅語よりよっぽどありがたいがいね、気イ長うして読んでみられ、ありゃ明治の下積みのお人たちの苦労のたまものやがいね、ちうて吉備彦に言うても、ちょっこしもピンと来んらしかったがいね、ハハハ」

 山口義三は山口県の出身で「名古屋の」という意味が私にはわからないが、なぜか――知名度の低さを補うための堀田の親切心だろうか――著書の『破帝国主義論』までが挙げられている。
 それよりも、「明治もんのわたしらにも、いまの憲法の方が教育勅語よりよっぽどありがたいがいね」と自由民権の空気をよく知る老婆に語らせる堀田善衞の、明治の自由民権と現在の憲法とのつながりの指摘は、味わってみる価値のある、というよりあらためて深く検証する価値のある貴重な、ものではないか。

 なお、この伯母郁子は堀田自身が自伝的という小説『若き日の詩人たちの肖像』にも登場し、主人公の若者にやっかいな存在な直言婆さんとなること、堀田善衞ファンの方にはご存知のところであろう。

追記:“名古屋の山口孤剣さんーー”について;
『破帝国主義論』(1903)の奥付によれば、発行所である「火鞭社」の住所が「名古屋市武平町三丁目百六十九番地」であり、“発行兼編集人”と記されている山口義三の住所も、同様に「名古屋市武平町三丁目百六十九番地」となっていることによるのであろう。山口義三が名古屋に住んだことがないと断言はできないが、疑問である。確認は課題とします。








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# by kaguragawa | 2017-06-25 16:51 | Trackback | Comments(0)

啄木、歌の噴出、そこで見えていたもの   

 昨年の6月22日・23日のブログに、1908年の「赤旗事件」「独歩の死」「啄木の内的事件」のことなどを書きました。22日の「赤旗事件」の項では、啄木の日記をとりあげて22日は夏至ではあったが曇りがちな日であり、夕方には雨が降った可能性もあることを、指摘しました。後に、大逆事件と真っ向から取り組むことになる啄木も、まだこの「赤旗事件」のころは、社会主義の動きにもまた当局の動きにも大きな関心を寄せていなかったとの思い込みから、《啄木と赤旗事件》の関わり、交錯といったことなど夢想だにせず、日記から天候のことだけを摘記したのでした。

 その一方、啄木の動きについては、この「赤旗事件」翌日の23日深夜から24日にかけてと、25日の深夜から翌日にかけての2回、深夜に突然歌が湧き上がるように出てきて、啄木がそれを必死になって?ノートに書き留めていったという突発のできごとを、「啄木の内的事件」として書きました。

 ところが、驚くべきことがありました。日記にはまったく言及されてない「赤旗事件」ですが、まさにその“紅き叛旗”が25日の深夜に湧き出た「歌」の中ににみごとな噴出を果たしているのです。ほんとに驚きです。

  女なる君乞ふ紅き叛旗をば手づから縫ひて我に賜へよ

 みなさんは、この歌をどのように読まれるでしょうか。

追記;
 啄木はもちろんこの社会主義者の大会(山口義三の出獄歓迎会)に参加はしていませんから「情報源」は、新聞か、知人でしょう。「女なる君」は、当日拘束された管野スガ、神川マツ子らのことであろうことも推測がつきます。そして、これらのことは、すでに研究者の方が言及されていました。しかし、情報源を「新聞」とされているようなのですが、疑問が残ります。「女なる君」に「紅き叛旗をば手づから縫ひて我に賜へよ」と呼びかけるこの歌には、新聞という文字情報以上のものが見えてくるような気がするのです。そうでなければ、歌が湧き出てくるような常ならざる精神の高揚のなかで啄木は見えざるものも見えていたのでしょう。
 いずれにせよ、私の課題としての「啄木と社会主義の交錯の掘り出し」は、振り出しに還って考えてみなければならないようです。



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# by kaguragawa | 2017-06-23 17:24 | Trackback | Comments(0)

森まゆみ『暗い時代の人々』   

 森まゆみ『暗い時代の人々』(亜紀書房/2017.5)

 「斎藤雷太郎と立野正一」はまったく知らない人々で、いつもの森さんらしい見事な紹介でわくわくしながら読みました。
 いつもの森さんらしく?細かなところで間違いが目に付きましたが、そんなこともふくめて、きちんと紹介したいと思っています。
 
 


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# by kaguragawa | 2017-06-18 19:54 | Trackback | Comments(0)

岩波文庫創刊90年記念「私の三冊」   

 岩波「図書」臨時増刊――岩波文庫創刊90年記念「私の三冊」

 感心?!しながら、惹かれるように拾い読み。「渋江抽斎」が思いのほか多いのに、ほっと?する。
 残念なのは、「はじめに」に今までの「私の三冊」(私の知る限りでも今まで同企画が2度ある)のことがまったくふれられてないこと。

追記;私の知っているのは下記の3冊だろう。
『図書』(臨時増刊:岩波文庫創刊70年記念・私の三冊):1996.12 通巻
『図書』(臨時増刊:岩波文庫創刊80年記念・私の三冊):2007.0* 通巻697
『図書』(臨時増刊:岩波文庫創刊90年記念・私の三冊):2017.05 通巻820

70年記念のもと80年記念のものは、拡大コピーして勝手に合冊版をつくって愛読していたが、行方不明である。

1987年5月発行の臨時増刊・岩波文庫創刊60年記念「私の三冊」もあるようだ。未見。




追記2017.10.15
 大きな勘違いをしていました。1987年5月発行の臨時増刊・岩波文庫創刊60年記念「私の三冊」、持っていました。書庫?の奥から出てきました。
 ちょっと意外だったのは、丸山真男が三冊のうちの一冊に『若山牧水歌集』を挙げていること。「詩歌では藤村や透谷にも親しんだが、旅行の折にポケットに入れて行くのは牧水の歌集であった。」
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# by kaguragawa | 2017-06-17 20:14 | Trackback | Comments(0)

委員会採決抜きの本会議採決は合法か?   

 参議院の委員会採決抜きの本会議採決は合法だったのか?

 報道機関の説明にも、そしてそれを聞いた道行く人へのアンケートにも大きな誤解があるようである。委員会採決抜きの本会議採決は「違法ではない」という点である。私は、昨日の採決は、実質的に「違法」であると考えている、一有権者として。

 この「委員会採決抜きの本会議採決」は、国会法に規定がある。
 「国会法」の《第56条の3》には、「各議院は、委員会の審査中の案件について特に必要があるときは、中間報告を求めることができる。」とある。これは、時間のロスとかの問題を別にすれば、もっともな規定である。問題は、《第56条の3の第2項》である。
 「前項の中間報告があつた案件について、議院が特に緊急を要すると認めたときは、委員会の審査に期限を附け又は議院の会議において審議することができる。」。これが、今回、与党からの動議にもとづいた本会議採決の根拠規定である。真ん中の条件節を抜いて紹介すれば、「前項の中間報告があつた案件について、議院の会議において審議することができる。」とそこには書かれている。(ただし、条文上は、「審議することができる」とあって「採決できる」とは書かれていないことにも注意を要するが、この条文を使った本会議採決の先例があることから、今は、この点は認めることとしておく。)

 問題の「かなめ」は、「議院が特に緊急を要すると認めたときは」の条件節の文言である。きちんと理解しないといけないのは、中間報告さえすれば、本会議審議が“自動的に”可能になるわけではないということである。「緊急を要する」の文言を無視してはいけないのである。この点、無智な国会議員さんにはもちろん、報道関係者にもしっかりと言いたいのだ。形式的には「議院が・・・認め」ればよいのであって、もちろんこれは形式的にはーー無智な国会議員さんの多くが知らないまま、事情もわからないままーー、クリアされたあろう。。

 しかし、議院が多数決にもとづく動議採決でクリアした「緊急を要する」という点こそ、その判断(動議採決)において実質的な錯誤があったと、異議申し立てをすることは可能ではないのか。きのうの本会議採決に「緊急(性)」があったということを、参議院の与党の選良の皆さんといえども、説得的に説明することは可能だろうか。

 国会議員の方はイザ知らず、私は一有権者として、議院における「緊急」の判断に断固異議をとなえるものである。そしてこの本会議採決に「先立つ動議の“実質的”無効」を主張するものである。


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# by kaguragawa | 2017-06-16 14:59 | Trackback | Comments(0)

I君へーー今日の国会の事件について   

I君へ

 天上の異郷で耳にしておられるかもしれませんが、アベ政権のもとでこの国家はとんでも悪業を積み重ねています。

 私の知る限りでも明治以降、ハレンチな権力者は何人もいました。国家公益より私利私欲に軸足を置いていた政治家なら山ほどいるでしょう。そもそも、「政治家」も職業としてこれをいとなむのであれば収支相償うものでなければなりません。
 しかし、私利と公益の区別さえつかない「ていたらく」でいながら、権力をほしいままにし、国家を国を無理想の最低レベルのものに突き落としたハレンチな政治家は、多くはありません。その一人が、安倍■■(痴呆気味で、どうしても名前が思い出てきません。ほんとです。)であることは間違いありません。

 私が“有権者”としている今現在にこのようなとてつもなく政権を自分たちの国の「かなめ」として持ってしまったことに――現在と今後の、いやI君も含めこうした問題に取り組んでこられた過去の人々に対しても、――言いようもない責任を感じています。

 今後の闘いに、I君、力を貸してください。

追記:
現在の内閣総理大臣は、「安倍晋三」氏でした。名前を失恋、いな失念した失礼を心からお詫びします。


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# by kaguragawa | 2017-06-15 22:47 | Trackback | Comments(0)

菊陽町図書館   

それにしても菊陽町図書館はすごい。

https://www.kikuyo-lib.jp/?page_id=119


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# by kaguragawa | 2017-06-10 15:57 | Trackback | Comments(0)

堀田善衛『航西日誌』を読む   

 40年前の今日(1977.05.21)、堀田善衛夫妻スペインに向け横浜港を出発――ポーランドの貨客船クズニカでの船旅/ロッテルダム着港6月26日。

 “廻船問屋の伜として生まれた私には、船でヨーロッパへ行くことは生涯の――とは多少大袈裟ではあるが――夢の一つであったのである。”

 これから5週間、日記風に書かれた『航西日誌』を記された日付に合わせ毎日読んでいくことにする。

 なお、『航西日誌』は出航ちょうど一年後の1978年5月21日に、筑摩書房から刊行。
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# by kaguragawa | 2017-05-21 20:51 | Trackback | Comments(0)

榎本隆司さん講演会at秋聲記念館   

 しあわせな日でした。

 徳田秋聲記念館で、榎本隆司さんの講演会。

 徳田一穂さんとも、野口冨士男さんとも交流のあった――付け加えれば恩田陸さんの大学時代の指導教官でもあった――研究者・榎本さんならではの貴重なというか、おもしろい話が続きました。
 さわりを紹介しようにも、不具合なパソコンで思うように文がつづれないのが残念。

追記;
 そうそう、榎本先生からも今回の企画展、すばらしいのでPRをしてくださいとの一言があったので、ひとこと。
 “父への手紙――徳田一穂展”は、一穂さんの命日にもあたる7月2日まで。ぜひ、一覧、二覧を!。
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# by kaguragawa | 2017-05-13 19:37 | Trackback | Comments(0)